定食屋「大戸屋ごはん処」を運営する大戸屋ホールディングスが5月10日、実質的な創業者の故三森久実・前会長に対し、2億円の功労金を支払うことを決めたと発表しました。

この支払は、2018年3月期に特別損失として計上されます。このため純利益は減益の見通しとなるとみられています。

このニュースが注目されているのは、大戸屋ホールディングスが、故三森久実さんの親族の処遇などをめぐって創業家と現経営陣が対立しており、「お家騒動」を繰り広げている最中にあるからです。

この件に関して、経営陣は、今回の2億円について「自社の利益水準や、複数の上場企業が過去、創業者に対し支払った額などを基に算定した」と説明しているそうですが、この件は、創業家側とは話し合っていないとのこと。「お家騒動」は一段と長引く可能性があると報じられています。

このニュースを読んだだけでは、2億円創業者に功労金を払うのに何が問題があるのと思われたかたも多いでしょう。また、創業家に2億円払うのになぜ「お家騒動」が決着せず長引くのかとお思いの方も多いはず。

今回は、このお家騒動を簡潔にまとめ、なぜこの2億円がまだ尾を引きそうなのか解説したいと思います。

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三森久実さんの経歴 帝京高校ではプロ野球選手を目指した

まずは、キーパーソンである創業者の故三森久実・前会長の経歴を頭に入れましょう。

三森久実さんは、1957年山梨県で観光ぶどう園「大戸屋」を営んでいた三森家の三男として生まれました。中学卒業後15歳の時、東京池袋で「大戸屋食堂」を営んでいた伯父 三森栄一のところへ養子に入ることになります。これは、伯父に子どもがいなかったためです。

東京に出てから帝京高校に。

将来の夢はプロ野球選手になることだったそうで、小さいころから野球に打ち込こみ、真剣にプロ野球選手を目指していたそうです。高校卒業じ、ノンプロの誘いがくるほどの選手だったそうですが、肝心のプロ球団からのスカウトはなし。このため、高校で野球はやめることとし、野球をしないのに大学進学しても意味がないと考え、進学もやめたそうです。

高校卒業後は伯父の伝手で帝国ホテルに入社することになっていましたが、洋食店フローラーフーズ(株)にコックとして入社し修行する道を選択されます。この時、「食」を職にしたいと思うようなったそうです。

フランスに修行に出て、帰国後にフレンチレストランでも出そうと考えていたとのこと。

大きな夢を描いて修業をに励み半年ほどしたころ、事態が急変します。伯父が他界したのです。このため修行は中断し、1979年に「大戸屋食堂」を引き継ぐこととなりました。

この後、居酒屋出店やモスバーガーのフランチャイズ出店では失敗もあったようですが、本業の大戸屋を徐々に大きくしていきます。

この間、1983年には、株式会社大戸屋を設立、代表取締役社長に就任。

1994年に起こしてしまった吉祥寺店の火災を機に、「女性が気軽に入れる定食屋」という型破りコンセプトを打ち出しこれが大当たり。女性からの絶大な支持を得て、2001年ジャスダック市場に上場する。

などの動きがありました。

そして、2012年には、従兄弟である窪田健一に社長の座を譲って、会長に専念。窪田社長に国内を任せ、三森さんら海外事業に心血を注ぎました。

 

吉祥寺店火災の逸話はわたしたちにとっても大変勉強になりますね。こちらの記事などに詳細があります。

当時三森久実さんは34歳。火災を理由に撤退することは選択せず、より良い店を出すことで地域に貢献しお詫びに変えようと、逆境に立ち向かい見事成功につなげました。是非見習いたいところです。

三森久実さん死去。その死因は肺炎

2014年7月。ショッキングな出来事が起こります。三森久実に末期の肺がんが見つかるのです。そして余命一か月と宣言されてしまいます。そしてその1年後、肺がんにより2015年7月27日、57歳という若さで急逝されました。病気になってからも最後まで弱気な姿は見せず、次は仏パリ(に出店する)と言って、亡くなる直前まで海外出張をしていたのだそうです。

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お家騒動勃発 その内容とは

創業者の三森久実さんは、自社株を約18%保有していました。自分が亡くなったのち、これを遺族に引き継がせたいと考えたわけですが、この場合、多額の相続税が発生します。このため、三森久実さん存命中から、会社の内部では、密かに三森久実さんに対する功労金支給の検討がはじまっていました。

今回のニュースに出た2億円は、株の相続に伴い発生する、多額の相続税への対策としての功労金が発端だったわけです。

ただ、話はもう少しややこしいのです。

三森久実さんは、将来的には実子の三森智仁さんに後々将来を継がせたいとも考えており、「智仁を後継者に」という意向を周辺の親族だけでなく、窪田など主要な経営幹部にも伝えていました。

そして、三森久実さんが亡くなる1月ほど前、2015年6月の定時株主総会で智仁さんは常務取締役・海外事業本部長に選任されます。

しかし、三森久実さんが亡くなってすぐに、「10月1日から香港への赴任を命ず」という辞令が出ます。

社長の窪田健一さんは、まだ26歳と若い三森智仁さんに、経営が安定している香港で実力をつけ、周囲の信任も得て、後継者になって欲しいという思いでの人事だったと言いますが、これが「排除」だと捉えられてしまいます。

一方、三森久実さん存命中から協議が行われていた功労金については、支払いの準備が粛々と進められており、8.7億円の支払いが水面下で固められていたのだそうです。

しかし、この支払も暗礁に乗り上げます。

ここでもう一人重要な人物が登場します。

大戸屋ホールディングスのメーンバンク現三菱UFJ信託銀行出身の同社元会長 、当時相談役の河合直忠さんです。

その後、相談役兼最高顧問に就任する人ですが、この人がこのように発言したというのです。

「メインバンクの三菱UFJ信託銀行が功労金は出すべきではないと言っている」「海外の子会社や、国内の植物工場など、”久実会長の負の遺産”が多いため、銀行は資金の引き揚げを検討している」

このため、8億円を超える功労金は一端棚上げとなります。

さらに、社長の「意思決定のスピードアップ、組織のフラット化を図るため」という考えのもと、三森智仁さんは常務からただの取締役へと降格しました。

こうなると、三森智仁さん側からみれば、父親の他界を機に会社が乗っ取られたと映ります。

三森智仁さんは三菱UFJ信託銀行に事情を確認をしますが、引き揚げを検討しているというのも事実無根だったそう。さらに会社も、金融機関は功労金を出せとも出すなとも明確に表明していないと発表しています。

河合直忠さんが「事実ではないことを理由に経営に介入した」ということになりますが、このことも不服として、智仁さんは取締役を辞任し会社を去りました。

三森久実さんの死後、三森久実さんの妻、三枝子さんと智仁さんは、それぞれ13.15%、5.64%の株式を相続しますが、功労金は下りていませんので、三枝子さんの株式を担保に資金を借り入れ、相続税を支払うという方法がとられました。

その後も、三枝子さんと智仁さんの創業家側と、窪田健一社長らの経営陣のわだかまりは溶けておらず、コミュニケーションがとれない状況が続いているとのことでした。

2億円の功労金の意味

今回ニュースに出たように、功労金は2億円。当初検討されていた8.7億円に比べると大幅な減額です。

さらに、創業家側とは話し合っていないときています。

意思疎通ができない状態で、かつ不信感、不快感を募らせている創業家側からすれば、なんだこの2億円は!といったところでしょう。

協議もなく勝手な決定をして!といった心境でしょう。

こういったことから、まだこの話は尾を引きそうだとみられています。

まとめ

今回は、大戸屋ホールディングス2億円の功労金を支払うことを決めたというニュースから、お家騒動の内容や、2億円の功労金の意味をまとめてみました。

確かにこの2億円で幕引きとはなりそうにありません。

この後創業家がどのような反応をするのか、今後も目が離せませんね。